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あまくまマチグヮ~

第2回 「若松公設市場」

掘り出し物あります!住宅街にある公設市場の「上等」なお店たち。

那覇市の中心市街地より少し離れ、繁華街の「松山」のはずれ、海岸に近い「若狭」の間にある公設市場「若松公設市場」をご紹介します。
潮渡川沿いの東側より撮影。1階は公設市場で2階以上は市営住宅になっています。
潮渡川沿いの東側より撮影。1階は公設市場で2階以上は市営住宅になっています。

那覇市と公設市場

かつては住民と市場でお祭りもしていた2階の広場。かなり広いスペースがあります。
かつては住民と市場でお祭りもしていた2階の広場。かなり広いスペースがあります。
 大正7年、現在の那覇がまだ市ではなかったころに、各地に点在していた「マチ=市場」を旭橋寄りの東町に統合移転し、那覇の中心となる市場が作られました。第二次世界大戦の戦火で東町の市場は消滅してしまいましたが、戦後には今の牧志のガーブ川周辺に闇市が発生し、公的な管理をするために、那覇市営の牧志公設市場が開設されます。そしてその後も、市内各地に公設市場が開設されてきました。
 現在では公設市場といえば第一牧志公設市場が観光地として有名ですが、かつては多くの公設市場が存在していたそうです。雑貨部、衣料部、第二牧志公設市場、東町公設市場(ここは大正時代に市場があった場所になります)、田原、宇栄原、真和志…そして今回取り上げる若松公設市場。それぞれの地区で、地域の人に新鮮な食材を提供し、市民の生活を支えてきました。

若松公設市場のむかし、今、そして…。

移転してしまい、今は問屋は少ない「若松卸問屋街」。この界隈だけは道幅が広くなっています。
移転してしまい、今は問屋は少ない「若松卸問屋街」。この界隈だけは道幅が広くなっています。
 今回取り上げる若松公設市場は、1967年(昭和42年)に開設されました。かつてトタンの平屋のお店が並んでいたところに、上層に市営住宅を併設させた市場が作られました。全盛期には50件以上のお店がひしめき、市場内の通路には物が置けないほどに人の往来がありました。当時は、市営住宅と市場のつながりも強く、2階の市営住宅の中庭スペースで盆踊りをしていた時代もあったそうです。
 しかし、現在より20年近く前(1991年)に、若松公設市場のすぐそばにあった県内「若松卸問屋街」が浦添市に移転してしまい、人の通りが激減しました。設立より40年以上を経て、建物の老朽化も進み、上層の市営住宅も含め2011年の閉鎖が決定しています。

散策のススメ!!若松公設市場でなつかしさと上等もんを満喫しませんか?

 若松公設市場は、歴史の積み重ねられた、観光化されていない普段使いの貴重な市場(まちぐわー)です。沖縄県外の人には、本土の市場・商店街とは違う沖縄の生活文化を感じられるかもしれません。
 また、かつて、通学通勤で若松公設市場を利用していたみなさん、もう一度、懐かしい顔に会いに行くのはいかがでしょうか?

それでは市場内のお店へレッツゴー!(次ページへ)