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あまくまマチグヮ~

第3回 「サンライズなは商店街」

ほどよくチャンプルー。那覇の商業発祥の商店街で再発見!

 牧志第一公設市場から徒歩3分。市場中央通りを国際通りとは逆方向へぐいぐいと進むと、とても高いアーケードの広くて長い商店街にたどり着きます。ここが今回ご紹介する「サンライズなは」商店街です。
 牧志第一公設市場から徒歩3分。市場中央通りを国際通りとは逆方向へぐいぐいと進むと、とても高いアーケードの広くて長い商店街にたどり着きます。ここが今回ご紹介する「サンライズなは」商店街です。

サンライズなは商店街について

商店街の半分ほどは、なかなか急な坂道。那覇では珍しいです。
商店街の半分ほどは、なかなか急な坂道。那覇では珍しいです。
 「サンライズなは」商店街は、平和通の終点と交わる三叉路から、ゆっくり蛇行する坂道を登った開南バス停の前までの約300メートルです。
 その300メートルの中でも、多くの通りと交差しています。…平和通り、えびす通り、浮島通り、壺屋神里(原)通り、新天地本通り、太平通り、開南せせらぎ通り、開南本通り、開南中央通り。壺屋地区の入り口、農連市場や公設市場にも徒歩ですぐ。そのためか、観光客の迷子の人がたどり着いてしまうのもこの道だったりします。
開南バス停側の入り口です。「ふれあいの街」のキャッチフレーズ。
開南バス停側の入り口です。「ふれあいの街」のキャッチフレーズ。
 サンライズなはは不思議な商店街です。地元の人と観光客がほどよく入り混じって通り過ぎます。新しささの中になつかしさがあり、ゆったりとそぞろ歩きも似合う商店街なのです。

 現在の店舗数は70と少し。ピークの時期よりはずいぶんと減りましたが、それでも今なお新しいお店が出店されています。歴史のあるお店と新しいお店、地元の人が日常的に利用されるお店も、観光客の人に人気なお店も入り混じった貴重な商店街です。
 こんな現在のサンライズなは商店街があるのは、那覇市の商店街としては長い歴史があるからです。

商店街が一つの歴史をもった町

商店街の突き当たりにある開南バス停。<br>県指定の木「トックリキワタ」が目印。木の後ろに見えるのが商店街の入口です。この三角の小さなスペースは歴史のある那覇市のターミナルです。
商店街の突き当たりにある開南バス停。
県指定の木「トックリキワタ」が目印。木の後ろに見えるのが商店街の入口です。この三角の小さなスペースは歴史のある那覇市のターミナルです。
 サンライズなは商店街の正式名称は「新栄通り(しんえいどおり)商店街」といいます。実は、れっきとした、戦後那覇の商業活動の発生の地です。
 戦後間もないころは、今の開南バス停のあたりは、沖縄本島南部一帯の人が旧那覇市の市街地を訪れるときに最初にたどり着く玄関口でした。南部の人は、まずこの開南に降り立ち、新栄通りを通って、公設市場や平和通り、国際通りに出ることができました。
 人々が交差する場所で物々交換が行われ、商人が集まっていたそうです。次第に規模が大きくなり、壺屋地区から見て坂の上にある市という意味で、終戦直後あたりには「うぃまちぐゎー(上の市場)」と呼ばれまし
た。
 そして、露天商集積の規模が大きくなるにつれ、通り会が結成され、ついには振興組合(法人)が設立されています。
平和通側の突き当たり。写真の左は平和通で右は壺屋「やちむん通り」です。かつてはこの突き当たりに沖縄銀行壺屋支店があったそうです。今は移動しています。
平和通側の突き当たり。写真の左は平和通で右は壺屋「やちむん通り」です。かつてはこの突き当たりに沖縄銀行壺屋支店があったそうです。今は移動しています。
 かつては、生活用品店、飲食店、薬局、衣料品店、金融機関、本屋、銭湯…などなど日常生活に関わる一通りのお店がこの商店街に集まり、商店街だけですべてのことが済むほどでした。昭和63年には通り名を公募し「サンライズ・なは」の愛称が決定。同時に那覇で一番大きな高層アーケード設置とカラー舗装化がなされました。
 けれど、近年では観光客の増加による国際通りや平和通りの変化、新都心の発展などにともない、サンライズなは商店街も変化しています。
サンライズなはから神里原通りを見ています。左手の歴史ある建物が「丸國マーケット」。この神里原通りは中心商店街で唯一Googleのストリートビューが通っています!
サンライズなはから神里原通りを見ています。左手の歴史ある建物が「丸國マーケット」。この神里原通りは中心商店街で唯一Googleのストリートビューが通っています!
 平和通側には衣料品店が多く、これは、戦後に一人で仕立てを商っていた女性が多かったからだそうです。
 また、丸國マーケットから神里原通り方面にかけては、アメリカ軍の駐在や、東南アジアとの貿易の歴史からも舶来品、輸入品を扱うお店が多い地区です。この神里原通りは、那覇の中心が1950年代に国際通りに移る前の一番大きな商店街でした。かつては、いくつかの映画館・劇場・百貨店もありました。そんな繁栄と異国文化の風情を、今でも建物や商品から垣間見ることができます。
  サンライズなはのおへそあたりは、食料販売の集積する農連市場や牧志公設市場に繋がる道と交差していて、歴史ある八百屋さんが。そして、開南へと上る坂の部分には、日常品や雑貨・化粧品を扱うお店が多く見られています。

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